立場を考えて文章を「つくる」

岩上 喜実

誰かと会話をする時あなたはその話す人によって立場が変わることで内容は同じだとしても話し方そのものを微妙に変えることはありませんか?

それは目上の方や立場上敬語を使用しなくてはいけなかったり、部下や年下相手で重い雰囲気にならないよう少しだけ話しかけやすいようにしつつ威厳もださなくてはならない、子どもの友達のお母さんが年上だったり年下だったりすると語尾や話し方にも少し変化をつけた方が円滑に回る…など日常や仕事では自分の立ち位置をどこに持っていくかを瞬時に見極めて動いたり言葉を選んだりしなければなりません。

それは文章も同じで、自分はどこの立ち位置から何を伝えたいのか、訴えたいのか、提案したいのかを明確にしておかなければひとつの文章の中に様々な立場の自分が現れてしまい読む側からするとまるで多重人格者の人の文章を読んでいるかのような、何処かに引っかかりが出来てしまう仕上がりになってしまう事があるのです。

ですが最初から全て作り込もうとすると、その概念に押しつぶされてしまい自分が本当に伝えたい事が伝えきれず格好付けた文章になってしまうので、それは注意しておかなければならない点の一つです。

 

一番やりやすいのは、自分がその伝えたい事を読み手はどう感じて欲しいと思って作ると案外素直にすらすらと言葉が出てきてまとまりが良くなる事が多いですが、自分はその内容を伝えて参考にして欲しいのか、提案のひとつにして欲しいのか、あるいは流して欲しいのか、それさえ決まれば文章の【語尾】が統一され文章そのものに人格が出来上がってくるものなのです。

 

語尾というのは文章の最後の言葉ですが、難しく考えず『でした。』と『です。』を一つの文章、あるいは一つの投稿で交わらせて多用しない事だけ気にして作ってみると文章に気持ちが加わりより人間味の増した文章になるのです。

①私はそう思うことが出来たのでした。

②私はそう思うことが出来たのです。

①と②の違いは語尾の『でした。』と『です。』だけなのですが印象がほんの少し変わる事に気付いたでしょうか?何となく①だと『私』という人が『そう思う』事が出来たという報告のように感じ、②だと『私』という人が『そう思う』事が出来る事ができた、というワンクッション置いた余韻を残すことが出来るような気がします。

確固たる考えを伝え報告をしたいのか、余韻を残し想像をさせたいのか、単なる語尾だけでそう思わせてくれる力がある、という事は語尾を統一させるとよりそのイメージは強く固められ文章ひとつで自分の考え方を伝えやすくなるのです。

SNSなどに投稿をしたり、ブログで文章を書くとき、そして知人にお手紙を書くときや仕事で書類を書かなければならないときなど、語尾を統一させ読み手が困惑しないように優しく文章の道筋を案内してあげるのも、とても楽しいと思います。

是非、語尾を気にしてみて下さいね。

 

 

 

岩上 喜実
イラストレーター、イラストエッセイスト
18歳から書籍挿絵、企業キャラクター、CMイラストを描く山陰在住イラストレーター兼イラストエッセイスト。挿絵書籍と自身が描くイラストエッセイを合わせて、文庫化と海外出版含めて2005年から現在で29冊刊行。
2011年から始めた「ゆるイラスト教室」と同年プロデュースと店長をしている「Non café(米子市)」とイラストレーターを毎日のほほんと楽しみながら奮闘しています。
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