立派ながん患者になる

岩上 喜実

それまで大きな病気や入院した経験もなく、それがどれだけ幸せなことだったのか、どれだけ恵まれていることなのかを知ったのは手術の準備をしている期間でした。 

針生検という細胞を病理で調べて貰う検査の後、約2週間霧に包まれたような不安な中で手術の準備や仕事の引き継ぎの準備をし、この頃はほぼ「乳がん」でしたがどの位の大きさでステージはいくつなのか、そして手術はどの時期に行った方が良いのかを専門の方に調べて貰っている期間なので、主人公の私でも私の人生の流れが読めない不安ですぐ取ってしまえばいいのに、すぐにいつもの生活に戻りたい、すぐに、いますぐに取ってしまって下さい。と願っていました。

ドラッグストアに行けば色んな薬が売っているのに何でがんの薬はないのか、書店に行けば毎日沢山の書籍が発売しているのに何でがんが無くなる本はないのか、そんなことばかり考えて過ごし、深呼吸をして気持ちを落ち着かせて仕事に戻っていく日々でした。

そんな私の気持ちが分かるのか、主人からはいつも絶妙なタイミングで「大丈夫」「ずっと一緒だから」とメッセージを送ってくれていました。主人の存在という支えがなかったら、とても平静で過ごすことは出来なかったと思います。

 

少し落ち着くと、今後の仕事の引き継ぎにかかりました。

イラストの仕事に関しては大きいお仕事を少しお休みして書籍などのイラストエッセイをコツコツと描き溜める期間にし、続けられる連載や描けそうな仕事は時間を調整し受ける事にしました。この時に利き手側のがんじゃなくて良かった、まだまだイラストが描ける、とホッとして泣き崩れたのを覚えています。皮肉ですが、どこか悪くなってから大切な事が分かるという事を恥ずかしく思いました。

イラスト教室も数ヶ月はお休みを頂く事にし、生徒さんにも事情を話すと頑張って下さい、いつまでも待っていますと宿題をせがまれました。生徒さんの中には薬剤師さんや看護師の方が多く、ここでとても気持ちが軽くなる言葉を頂いたのも、笑顔で治療を続けられた要因の一つだと思っています。

「自分で発見し、自分で病院に行き、自分で判断した先生(私)は、もうがんの主導権を握っているんですね。先生なら、きっと大丈夫です。」

今でも薬の副作用で上手く物事が運べなくなった時に、この言葉を思い出して「自分の病気なんだから、自分でルートを決めて良いんだ」と笑顔に戻ることがあります。

そして経営している飲食店はそれまで毎日のように入っていたシフトを一旦離れ、店長代理という形で4人のスタッフに任せることを決めました。きっと、その4人にとったら負担が増えてしまうだけですし、通常の仕事プラス雑務や他のスタッフへの指導、売上げや新作発表など面倒なことばかりで、誰か一人くらいは逃げ出してしまうのではと思っていました。ですがその4人や他のスタッフは私が一旦シフトから離れている間に絶対売上げを落としたくない、店長(私)に安心して貰いたいと本当によく頑張っていたのがとても嬉しく、早く戻ってもっと指導したいと仕事への気力に繋がったのです。

そして周りの人の気遣いに、徐々に手術への不安は減っていたのです。

 

がんに対して全くの素人だった私は、がん細胞に色んな種類がある事をこの時に初めて知りました。本やネットでもよく分からなかったので往診の時に聞くと大きさだけでなく、がん細胞が乳管内にとどまっている時期のものを非浸潤(ひじゅんかん)がん、そしてがん細胞が外に出てしこりを感じるものの大多数である浸潤(じゅんかん)がんという種類があること、悪性度という活発ながんなのか大人しいがんなのかを調べること、ホルモン感受性が陰性か陽性かによって治療が異なること、そして乳房を温存するのか切除するのかということ、など簡単にがんを取ってしまえば良いと思っていた自分はいかに無知だったのかを知れたと同時に、ひとつひとつを自分でちゃんと見て、考えて、自分の意見や思想が持てる患者になろうと覚悟が出来たのです。

立派な「がん患者」になると決めてしまえば、あとは立ち向かうだけですから。

 

覚悟を決めて病理検査結果を主人と聞きに伺い、私のがんはステージⅡa、大きさは33mm、種類は浸潤(じゅんかん)がんで悪性度は一番低いレベル1、ホルモン感受性は陽性だったので抗ホルモン療法剤による治療が可能という結果でした。
思っていたより大きさはあるけれど、かなり軽い状態だったので二人でホッとしたのを覚えています。何よりも私が怖かったのはホルモン療法剤以外の治療で、今の精神状態が保てないことだったからです。

仕事では注意したり、主人に言いたいことがあったら怒ったりしますが基本的にあまり喜怒哀楽の怒の要素が少ない方なので日々の暮らしでイライラする事も年に数回と少なく、そんな脳天気な自分の性格が気に入っていたので薬の作用で怒りやすくなったり、当たり散らすのだけは避けたいと思っていました。乳房を全摘手術になって、私自身の女性としての姿が少し変わっても主人や周りの人は好きでいてくれる気がするけれど、中身が変わったらみんな離れてしまうかもしれない、と怖かったのです。

その後翌月に決まった手術の為、CTスキャンやMRIなどの術前検査を数回に渡って行い、その間風邪など引かないように免疫力を上げるよう注意して過ごしていました。

今回かかった費用は、検査等全てで約30,000円程でした。(全て30%負担の計算です)

 

そしてもうひとつ怖かったこと、それは次回にお話ししますね。

 

沢山の方からメッセージを頂き、本当に嬉しいです。もっと沢山の病気が完治すればいいのに、と心から願っています。

 

岩上 喜実
イラストレーター、イラストエッセイスト
18歳から書籍挿絵、企業キャラクター、CMイラストを描く山陰在住イラストレーター兼イラストエッセイスト。挿絵書籍と自身が描くイラストエッセイを合わせて、文庫化と海外出版含めて2005年から現在で29冊刊行。
2011年から始めた「ゆるイラスト教室」と同年プロデュースと店長をしている「Non café(米子市)」とイラストレーターを毎日のほほんと楽しみながら奮闘しています。
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