⑩言葉の定期検診をする
大人と子どもの違いとはなんでしょう。身体の大きさだったり、持っているお金や持ち物だったり、経験して蓄えてきた知識だったり、裏切られた悲しみの数だったり、愛されて膨らんだ気持ちの量だったりと目に見える物から目には見えない物まで様々な事柄が大人になることを証明していくのだと思っていて、そしてそれを上手く自分の言葉に出来るほど状況消化が出来ている人は人間関係を潤滑にしている大人のような気がしています。
言葉というものは人を傷つける事もあれば、素敵な人間だけの交流ツールとして人を喜ばせたり楽しませることの出来る事のできる不思議な手段なのです。そしてその言葉を定期的に一度整理する時間を設けることが気持ちの切り替え10つ目です。
言葉の定期検診というとどういった意味か分かりずらいかもしれませんが、例えば最近よく会って話している人の口癖や反応が似てきた様な気がしませんか?美味しい物を食べるとき、以前は「美味しい」と言っていたことが「ヤバい」に変化していたり、ふと自然に出る言葉の数々が近くの人に似てくることは良くある事なのですが、それは果たして良い方向に向かっているのか使っている本人にとっては判断しずらい事になってきてしまう事があるのです。
その為に今の気持ちや心情をスマホやパソコン、手帳や日記というツールの中から自分に合ったものを選び、一言でも1行でもいいので〝思ったことを目に見える文章〟に変換してみるのです。
「月が丸かった」でも「読みたい本がある」でも何でもよく、文章というのは不思議で、ただの一言や一文でもその情景や想いが表現されているものもあり、そこから自分の本当に考えていることの真意が分かることもあるのです。
私は小さいときから文章を書くことが好きだった理由の一つに、口から出す言葉の発達が他の人より少し遅かったのが原因だと自分で思っています。同じ学年でも、3月生まれの私は4月生まれの人と約1年の成長の遅れを言葉の数だと認識していて、それをどうにか埋めたくて必死で小学生の頃は本を読み、家に帰っても国語の教科書の朗読をしていたのだと亡くなった祖母や祖父に聞いた覚えがあります。
その言葉に対する劣等感は大きくなるにつれ薄まり、同じ学年で言葉の差は感じなくなったものの新しい言葉と出会うことの出来る読書が好きなのはその頃から今でもずっと共通した趣味であり情報収集のひとつなのです。
小学生の頃には同級生と交換日記やお手紙交換で気持ちを文字にする楽しさを知り、中学生ではその言葉の使い方を間違えると人を大いに傷つけてしまう事を知り、高校生ではその言葉と好きなイラストでの仕事があることを知り、20歳になる頃には貯蓄してきた言葉とイラストでお金を貰えるようになっていました。
ですがその言葉は今思えば何かの上書きだったり、自分では経験していないことなのにあたかも自分が感じたことのような文章を並べていただけのような気がしています。
それから20年経ち、今私は言葉を仕事にしたイラストエッセイストという仕事をしながら定期検査としてこのブログを週に一度投稿するようになりました。
カフェの店長としての仕事が重く背中にのしかかっていた時のことも、乳がんが見つかって手術と治療をした時の事も、全て自分が思ってきた言葉として紡いでいくことが私の新しい気持ちに出会える切り替え方なのだと思っています。
誰かを傷つけないためにも、誰かを幸せにするためにも、そして何より自分の考えにより近い言葉を選ぶ時、その中でもいい言葉の選択をしたいので気持ちを文章にしてみる事を強くおすすめしたいと思っています。
2011年から始めた「ゆるイラスト教室」と同年プロデュースと店長をしている「Non café(米子市)」とイラストレーターを毎日のほほんと楽しみながら奮闘しています。
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