まだまだ、がん一年生

岩上 喜実

乳がんを発症して約1年、前回のエッセイからその後の経過をお伝えしたく現状をまとめてみました。まず前回8回に分けて発覚から手術、術後の治療をまとめてみましたが各方面沢山のご意見やお言葉を頂き心からエッセイにまとめて良かったなと思っています。ですが不思議なもので他人の事は新鮮味がなくなれば風のように通り過ぎ無かったことのように日常に戻ります。私にとってそれは発信しておいておかしな感情ですが、有り難いと思えた事の一つでもありました。

以前は3日あれば出来ていた仕事が1~2週間かかってしまう、以前は怒る場面では無いところでイライラしてしまう、そういった自分だけが感じる以前とは違う点を他の人にばれず指摘されないよう誤魔化し生活している私にとっては私=乳がん患者ではなく、私=私でありたかった感情でした。

ただ、この数ヶ月の間ですが現在ホルモン療法剤での治療と術後経過で少し気持ちの変化がありました。そして20年間仕事ばかりしていた私は趣味や友人との食事などに以前は消極的だったのですが今は都合が合う約束は積極的に会い、話し、笑い合うようにしています。SNSなどで公開される交流関係はどこか怖い印象があるので滅多に公開はしませんが、私には大切な友人達が沢山居ることに気付いたのも今現在のゆっくりとした期間のおかげでもあります。今まで考えていなかった死について向き合うことが出来たからこそ、無限ではない時間の使い方を考えるようになったからだと思います。今回は術後経過の現状と、生ける事と死する事について2回に分けてまとめてみましたのでご興味あれば見て頂けると嬉しいです。

体調の現状は転移もなく、毎日のホルモン剤と1~2ヶ月に一度のホルモン注射をしています。診断には必ず採血をし、診察をしてから処方してもらうとても小さな薬ですが、最初の頃はその薬に支配されているような気分で症状の一つである動悸が中々おさまらず、左胸の部分切除をしているので心臓がより近くなったような錯覚に陥り何ともいえない不安にかられることもありました。あとは急な発熱が多くなり、仕事での冷静な判断力が以前よりワンテンポ遅れることもイライラの原因になっていたと思います。あとはいくら食事に気をつけても痩せることが出来ず、どんどんと身体が重くなっていくことにも鏡を見る度悲しくなっていったのです。

そんな私を主人はいつも「大丈夫だよ、ゆっくりね」と声をかけてくれ自分を見失うことなく悲しいときは思い切り泣くことで、笑えるときは思い切り笑える事ができるのだと思います。

発熱には充分な水分補給と首から上を良く冷やすこと、ホルモン剤と鎮痛剤の併用は心配なかったので痛みを伴う場合は無理なく飲用し休むことにしています。そしてその発熱は手術後の胸に水が溜まりやすくなり、そこに疲労が重なると免疫力が落ち、菌が侵入しやすくなり熱が出るという仕組みでした。発熱一つとっても以前とは違う流れや原因になるので、分かるまでは何故こんなに頻繁に熱が出てしまうんだろう?と不思議でした。

動悸は女性ホルモンを抑えて生理を止めている更年期の一つなので薬を副作用である程度はしょうがないと腹をくくっていましたが、本当に何でもないところで急にバクバクと心臓の音が強くなってくるのは最初対応しきれませんでしたが今では思う存分ドキドキしたらいいや、とこちらも腹をくくることにしています。

仕事のテンポも最初は戸惑っていましたが、今では「判断力が鈍ってしまって、少し時間を下さい」と素直に伝えることにしています。全てにおいて自分を追い込みすぎないよう、今の時間を噛みしめるようになりました。

以前は指の間から時間がパラパラと落ちてくるようでしたが、指の間がしっかりと閉じ、時間を受け止めるようになったような気がします。症状が良くなることもホルモン剤療法の期間が短くなる訳でもないのですが、気持ちの波をやっと自分で舵を取れるようになってきた今だからこそ、自分の裏も表も身近な人には伝えていこうと思っています。

ほんの少しですが、いいこともありました。

私自身以前は毎月生理痛が重く苦しんでいたのですが、その痛みがないことと、肌荒れを全くしなくなりました。ホルモンとは本当によく分からないものだな、というのが今の感想です。

そしてスピードが落ちたのなら、以前と違う自分の方向転換をしたくて、新しい知識を三つ入れることにしました。

その一つは朗読です。自分の文章は世間に出す前に必ず自分で声を出して読み、点や丸の付け方がおかしくないか、読みづらくないかをチェックしていたのですが、それが苦では無いことに気がつきました。私の声は電話している相手が寝てしまうこともある位の低い声で、学生の頃はそれがコンプレックスでしたが絵本の読み聞かせでスヤスヤと寝ている友人の子どもを見たときに朗読をしてみたいと思ったのです。何より本があればどこででも出来るのが私には合っていたので、詩と絵本を読んでいます。それは思っていたより楽しく、何より誰かとお話しをする時にどう伝えたいかを考えるようになったのが新しい発見でした。いつかどこかで披露する夢はありませんが、歳を重ねた時、主人が眠る横でお話しを読むことができたらいいなと思っています。小さい夢ですが、がんが発覚して将来の夢をあまり考えなかった私にとっては大きな一歩でした。

もう一つはヨガです。前屈も出来ないほど身体が硬いため、恥ずかしくて誘われても避けていたのですが、近所の教室にふらりと通うようになってから身体が硬い事ではなく、呼吸が浅く術後から胸を隠すように少し猫背になっていたことに気がつきました。術後の傷が痛むときは無理せず休むことにしていますが、深い呼吸を意識し胸を開くだけで全身が軽くなったような気がします。自分のペースで続けていけたらと思っています。

最後の一つは勉強です。飲食店を経営しておきながら、食材の栄養素は知っていても組み合わせや糖質など知らないことが多いことに気がつきました。ただ旬のものや、やみくもに美味しそうなものを選ぶだけではなく、身体にどのように機能していくのかを学生のようにノートに取り、調べ、作り主人との食卓に登場するようになりました。まずは自分が病気になったからこそ、主人には大病になってほしくないという思いが強くなり、家庭内で防げるものは防ぎたいと考えています。もう少し早くしておけば、私自身ももしかしたらがんが発症しなかったかもしれませんが、今からでも出来ることをしっかり身につけてこれからの身体作りを出来る限り楽しんで造っていきたいと考えています。

そう考えているときに、免疫力に関するお話しの場に誘って下さった方にはとても感謝しています。以前だったらそういった場には極力行かなかった性格でしたが、足を運んだことで難しかった食材選びや一人で悩んでいたことが一気に解決した気がします。何よりその場にいた同じ病気が発症した講師の方や、女性と話すことも私にとっては泣きそうな位励みになりました。

ずっと、がんが分かってから納得していながら「何故」という気持ちがありましたが、この場所に行って色んな話を聞くことで「何故」という思いが薄く消えていったような気がします。「何故」と思うのなら、その何故に背を向けずに飛び込んでいけばいいだけだったんですよね。

私=(乳がんになったけど大丈夫な)私になりたかった事に気付き、また一つ視野が広がったような気がしています。

これが私の現状です。

気持ちの面ではより落ち着き、体力も回復していますし傷口も目立たないので好きな温泉にも気にせず入ることが出来ます。ですが少し体調を崩すと放射線を当てた所が赤土色になり、酷い痒みに襲われることもあります。その時は処方されたヒルドイドで保湿をし、傷から膿がでればガーゼでカバーしています。ただ、それだけで済んでいる事にも感謝しています。

何か同じ症状で悩まれている方が少しでも楽になりますように、そしてこういった方もいると感じてもらえたら嬉しいです。次回はがんになって1年、いつか必ず迎える死についてまとめてみましたので、良かったら覗いて見て下さいね。

岩上 喜実
イラストレーター、イラストエッセイスト
18歳から書籍挿絵、企業キャラクター、CMイラストを描く山陰在住イラストレーター兼イラストエッセイスト。挿絵書籍と自身が描くイラストエッセイを合わせて、文庫化と海外出版含めて2005年から現在で29冊刊行。
2011年から始めた「ゆるイラスト教室」と同年プロデュースと店長をしている「Non café(米子市)」とイラストレーターを毎日のほほんと楽しみながら奮闘しています。
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